近江八幡の歴史、文化を守り、引き継ぐために。地域主体のまちづくり

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滋賀県のほぼ中央に位置する近江八幡市。陸上と湖上の交通の要という地の利を得て、中世以降は多くの城が築かれた場所です。織田信長も推し進めた楽市楽座は、豊臣秀次の自由商業都市の思想に引き継がれ、さらに近江商人の基礎を構築。そのため各地に歴史的遺産が点在し、風情ある景観が受け継がれています。こうした背景から人気観光スポットのひとつでもある近江八幡市。日本版DMOの設立を目指して、今後どのような観光まちづくりに取り組んでいくのか、日本版DMO候補法人となった一般社団法人 近江八幡観光物産協会 事務局長の田中宏樹氏と、総合政策部 文化観光課 観光政策グループ 課長補佐の永田修氏にお話を伺いました。

地域のための取り組みが、観光客を呼ぶことに

――近江八幡のこれまでの観光に対する取り組みがあれば教えてください。

永田:近江八幡は、今では、滋賀を代表する観光地と言われるようになりましたが、あえて言うならこれまで観光地になろうと思って取り組んだことはなく、地域にある歴史的資源や文化的資源を守り残そうという取り組みを続けた結果、観光客が訪れるようになったのが特徴です。

ですから、主体は地域住民にあって、観光客が望むから何かを大きく変えようとはしません。原則は、近江八幡で生活する人たちの誇りや、故郷に対する愛情を守り、後世に伝えていくこと。その考えは、今後も変わらないと思っています。

実は、2010年の旧近江八幡市と旧安土町の合併前の旧近江八幡市において実施した市民アンケートの中で、目指したい観光に対して多かった意見が「観光客の増加に躍起にならない観光振興」「自然、歴史、文化に特化した観光資源の整備」でした。

これは、今まで地域のためのまちづくりを進めてきた結果、観光が後からついてきたように、「人に来てもらうため」「ものを売るため」の観光に固執したくない意見の表れでした。

先人が残した歴史・文化遺産を受け継ぎ、“いいまち”をつくる

――これまでの地域のためのまちづくりについて、具体的な例を教えてください。

永田:近江八幡は、豊臣秀次が織田信長の死後、安土城が築かれた(本能寺の変後、焼失)安土山や琵琶湖に近い八幡山に城をつくってできた城下町です。安土城の城下町に住んでいた人たちが移り住んできました。

しかし、秀次の死後、八幡山城は廃城に。秀次は八幡堀を琵琶湖とつなげ、湖上を往来する船を城下内に寄港させることで、人、もの、情報を集め、まちを活気づけていました。しかし、時代の経過と共に、八幡堀に生活用排水が大量に流れ、酷い水質汚染と悪臭にまみれてしまったのです。

そこで立ち上がったのが地域住民であり、その中でも活動の中心となったのが近江八幡青年会議所です。「堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」を合い言葉に復元作業を呼びかけました。しかし当時、八幡堀の埋め立て予算は国に計上されており、なかには「埋め立て」に賛成する住民もいたといいます。ただ、彼らが起こした行動の裏にあったのは「我々が存在するのも八幡堀があったから。まちの歴史が詰まった堀を守らなければならない」という思い。

この思いに住民たちは徐々に共感し始め、自主的に清掃する人が日に日に増加し、堀を復活させるに至りました。

(総合政策部 文化観光課 観光政策グループ 課長補佐 永田修氏)

そうして景観を復活させ、その後も地域住民たちで保存・保全を続けてきた結果、映画のロケ地に選ばれたり、観光客が訪れたりするようになりました。これは、最初から観光客を呼ぼうとしてやったことではなく、自分たちのまちを守るためにやったことです。

この考え方がずっと受け継がれているから、先ほどのアンケートでも、先人が残してきた歴史的・文化的遺産を大切に受け継ぎながら、“いいまち”をつくることで、自然と訪れる人が増えるような振興を望んだのだと思います。

ただ、観光が後からついてきたことで、課題も生まれました。300万人、400万人と観光客が増えたことは大変ありがたいのですが、急激な交通渋滞が発生するようになったのです。だからといってインフラを無秩序に整備するのは地域住民の考えに反しますし、その結果、まちの景観にそぐわない店舗や、利益追求型のビジネスが生まれてしまうと、地域住民の望まない形になってしまいます。このバランスを取るのがとても大切ですね。

地域にあるものを利活用した観光施策

――そうした現状があるなかで、近江八幡市では一般社団法人近江八幡観光物産協会が日本版DMO候補法人に登録されました。背景にあったことや、どんなことに取り組んでいくのかについて教えてください。

田中:課題だったのは、産業構造の変化に伴う担い手の減少です。この地域は古くから商人のまちで、商売を代々受け継いでいくのが当たり前でした。しかし時代は変わり、商店街が廃れ始めたのです。そこで、観光客の力をうまく取り込んで、まちの活性化につなげたいと考え、日本版DMOの設立を目指しました。

DMOとして目指すのは、地域にあるものを生かして、地域の未来に貢献すること。何か新しいものをつくったり、何百万人の観光客を呼んだりすることは考えていません。行政や交通業、商工業、地域住民などと連携し、近江八幡が持っているポテンシャルを生かしたまちづくりをしたいと考えています。

田中:一般的なDMOとは少し違う考えだと思うのですが、近江八幡はあくまで、地域が主体の観光まちづくりをするのが目的です。たとえば、地域の、名人、職人、芸人、その他、家々や地域で伝えられてきた郷土食をつくれるおばあちゃんなど、観光資源になる要素はたくさん眠っています。そういう人たちの知恵や技を生かし、観光客に観光ガイドや見学を提供できるような人材バンクになっていけばいいと思っています。

(一般社団法人 近江八幡観光物産協会 事務局長 田中宏樹氏)

地域の方には、「地域のお祭りや伝統行事など全てを観光の対象として、観光客目当てに商売をするのではないだろうか」と思われがちなのですが、そうではなく、近江八幡に興味を持って来てくれた人たちに、地域の暮らしや技を見せたり、歴史を語ってもらう。そういう取り組みを進めていきたいです。

特に近江八幡は、「きらびやか」「スピード感」「斬新」の対極にある、「地味」「目立たない」「ゆっくりのんびり」が気質・風土と合っています。住んでいる人たちの生活を守りながら、まちに観光を溶け込ませたい。地域の人に自然と伝わっていくようなものがいいと思っています。

また、市役所も、文化観光課やまちづくり支援課、都市計画課、商工労政課など細かく分かれていますが、どの課もDMOに関連することは多い。ですから、観光をキーワードにするものはDMOが横断的な窓口になれたら、地域資源を利活用した無駄のない取り組みが叶うのではないかと考えています。

儲けることより、人の幸せを願う

――最後に、あらためて近江八幡の魅力について教えてください。

田中:近江八幡は近江商人の魂が受け継がれている土地ですが、近江商人は「儲けるために人よりも先に抜きんでる」「安く仕入れて法外に高く売る」そういうことを否定していました。有名な「三方よし」の精神「売り手よし、買い手よし、世間よし」ですね。それは今でも、「人が困っているときに助ける」「人の幸せを願う」という考えで受け継がれており、「安値で販売したことを悔やむくらいの商売ならば顧客と末永い取引が出来る」と伝えている家訓もあります。

たとえば、安土・桃山時代に近江八幡で創業した、布団で有名な西川産業も、創業当時から防災や事業継続のための資金以外、利益は社員に還元していました。さらに金銭だけでなく、学問も提供することで社員のレベルを向上。結果、より業績を伸ばし、出た利益をさらに社員へ還元するサイクルを生み出していました。

永田:近江商人は、この地を拠点に全国各地や海外に商売をしていましたが、他の地に移り住むことなく、近江八幡に住み続けて質素倹約な生活を続けながら、商いをしていました。こうした、まちを愛し、歴史と文化、自然を大切に受け継ぎ、次世代に残していく近江八幡の気質が色濃く残っています。

田中:その点では、近江八幡の楽しみ方を事前学習してもらうための発信も、DMOの役割だと考えています。まちの歴史や文化をあらかじめ知った上で来てもらい、「また来たい」「今度は長期滞在してみたい」そう思われるようなまちづくりができたら本望です。

執筆者

地方企業・地方自治体の採用を支援するビズリーチ地域活性推進事業部。魅力的な地方の情報をお届けします。