【仕事で疲れた人へ】偉人たちのダメすぎるエピソード

そろそろお腹いっぱいなのではないでしょうか? 偉人の名言・言行録に、です。どうせマネなんてできないし。高いところばかり見てると首が痛くなるのでやめましょう。たまには、偉人たちのダメダメなエピソードでも読んで息抜きを。

電気でゾウを公開処刑|トーマス・エジソン

動物園の象

(出典) photo-ac.com

小学校の担任教師に「お前の頭は腐ってる」「頭が悪すぎる」といわれたことで有名なエジソンは、倫理観を疑ってしまうようなエピソードがじつに豊富。

あるときは「空を飛べるようになるクスリ」を無理やり友人に飲ませ病院送りに。またあるときは公開前の映画を無断でコピーしてアメリカ中の映画館に売りつけ大儲け。

さらに直流の送電方式を支持していたエジソンは、対立する交流方式の危険性を宣伝するため、しばしば動物を交流電気によって殺害。遊園地のゾウを電気ショックで処刑するようすを収めた映画を公開するなど、なかなかサイコな人物だったようです。

晩年は「死者と交信できる通信機」の研究にハマってしまい、開発中に火事を出して研究所を全焼させるエキセントリックな人生をおくりました。

自分も患者もコカイン

薬物のイメージ

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依存症に|ジークムント・フロイト

精神分析で名をあげたフロイト、じつは大学を出たあとしばらくコカインに夢中でした。精神を高揚させるコカインを使って神経症の治療法を開発し学会のヒーローになろうという腹積もりだったのですが、自身や患者に大量のコカインを処方して依存症になってしまい、逆に学会から白い目で見られるようになります。

心機一転して精神分析の研究に挑むも、地元・ウィーンでの評価は最悪。彼を支持したのはアメリカの学者たちでした。招きに応じて全米講演の旅に出るのですが、ほんとうのところフロイトは大のアメリカ嫌い。帰国後、数年間続く体調不良はアメリカに行ったせいだの、筆跡まで悪くなっただのとテキトーなことを周囲に言いふらしました。

ちなみにアメリカ嫌いなのは「英語を話せないから」という小学生なみの理由によるものです。

本に書いてあることを憶える必要なんてあるのかね?|アルベルト・アインシュタイン

本

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5歳になるまでしゃべることすらおぼつかなかったアインシュタインは、学校生活が苦痛で仕方なかったもよう。ドイツ・ミュンヘンにある公立学校では厳格な校風になじめず、中学・高校にあたるギムナジウムでも規則だらけの重苦しい雰囲気がイヤで、家族のいるイタリアへ逃げ出してしまいます。

その後スイスのチューリッヒ連邦工科大学を受験しましたが、マジメに勉強していなかったので当然不合格。ところが数学と物理で受験生中最高得点を叩き出し、ギムナジウムで勉強し直すことを条件になんとか特例で入学資格をゲットしました。

しかしノーベル賞受賞にいたっても記憶することは苦手なままだったようで、あるインタビューで光速度の数値を答えられずに記者からツッこまれると「本やノートに書いてあることをどうして憶えておかなければならないのかね?」との至言を放ちました。

血が苦手で医大中退、昆虫採取三昧のニート生活|チャールズ・ダーウィン

木についたカブトムシ

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医者の一家に生まれたダーウィンは、家業を継ごうとエディンバラ大学で医学を学びました。しかし残念なことに、血を見るのが大の苦手。麻酔のない時代の外科手術のおそろしさも相まって、学位を取らずに中退してしまいます。

大学を辞め昆虫採集に熱狂するダーウィンを見た父親は「いきものを捕まえることしか能がない」とサジを投げる始末でした。自伝にも「父親や教師からはどちらかというと一般の知性レベルに達していない子供と思われていたようだった」という記述があるので、よっぽど周囲を呆れさせていたのでしょう。

英語学教授、ロンドンで英語が通じないの巻|夏目漱石

黒板

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「お札の顔」として子供でも知っている夏目漱石は、英語研究のために留学したイギリスで引きこもりに。

ロンドンに行ってはみたものの、留学前は大学で教鞭をとっていた英語がぜんぜん通じません。自信満々だった彼のプライドは崩れ去ります。しかも街には日本人とは比較にならない屈強なイギリス人。圧倒され、すっかり自信を失った彼は下宿へ引きこもります。

しだいに「なんで日本人のオレが英文学を?」とよくないスパイラルにはまりこんでいき、もはや留学の目的自体がなくなってしまいます。そして悩んだ彼は神経衰弱になり、任期前に帰国するハメになりました。

艦長室から出てこない艦長|勝海舟

海の船と日差し

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江戸の街を戦火から救った勝海舟が苦手だったのは「犬」と「船」。9歳の頃、犬に睾丸を噛まれて2ヶ月間生死の境をさまよってから、犬を見るとガタガタ震え出すほどだったといいます。

「船」は、1860年に日米修好通商条約の批准のために渡米する咸臨丸に艦長として乗り組んだときのこと。艦長のクセに船内の衛生管理にアタマが回らず、60人の水夫は大部屋に雑魚寝。防水が不十分な船室で着物も布団もずぶ濡れのまま乾かすこともできず、艦内に伝染病が流行しました。死者を多数だしたうえに、自身も伝染病で艦長室にこもりきりに。

同乗していた福沢諭吉は単なる船酔いと誤解し、いたるところでさんざん勝をバカにした結果、現在まで続く「勝海舟、船酔いで役に立たなかった」説の原因を作ってしまいました。

おわりに

偉人だって意外にダメなんです。たんなる民草の僕らがダメなのは詮なきこと。あー、明日から仕事またがんばろう。